キュア男キュア成人女性

男のプリキュア誕生

成人女性のプリキュア誕生

 

だめだ、つっかかってしまう。

私の中の鈴木雅之が歌い始める。チガウチガウ

 

裏を返せば男"でも"プリキュアになっていいし成人女"でも"プリキュアになっていいよ に見えてしまう。

つまりは本当はイレギュラーってこと。

 

そうじゃなくて、あのプリキュアはちなみに男、あのプリキュアはちなみに成人女性 がポリコレのあるべき落とし所のように感じる。

 

これは社会にも言えることで「女性の管理職を◯◯%以上に!」に私はずっと違和感を感じていた。

これだと能力が無くても「女であるから」という理由だけで数合わせで管理職になれる人が出てしまい逆差別となる。

そうじゃなくて「性別度外視で管理職にしましょう」が落とし所。

 

(その点パーマンなんかは当たり前のようにチンパンジーパーマンやっててポリコレポイント100万点 と思いきややっぱちょっと違和感感じちゃうの難しいな)

 

でも一番悪いのは、良かれと思ってやった事にいちいち突っかかる私みたいな人間。

物事をつまらなくする。

善意を善意として受け取れないってほんと害悪だわー。

唇ふさいで何も言わせない

 

従姉妹

同い年の従姉妹の誕生日だった。

大好きで会ったらいつもべったりだった。


この前スキャナした昔の写真を送ってお祝い伝えようとした。


「◯◯、お誕生日おめでと〜

 この前かわいい写真発掘したから送るね」


打とうとして、ふと指が止まった。

従姉妹はもう2人子供がいて、もうすぐ3人目が生まれる。


きっと今頃、従姉妹似のかわいい姉妹たちがママの誕生日を祝ってるに違いない。

急に自分が邪魔者に思えた。


ここは大人がしゃしゃるところじゃない。

祝う気持ちを胸にBBAは身を引いた。


私だけがあの頃に取り残されたまま。

ちょっと寂しいな。

でも大人になるってこういうことだよね。


お誕生日おめでとう。

みんな悲しみを抱いて生きている

先日、酔っ払った父にこんなことを言われた。

父「こんな日本にはもう未来は無い。ま、その頃にはワシらはもう生きてないだろけど。〇〇(私)は大変だろうなぁ。ま、頑張って!ねっお母さん!」

父は私とのコミュニケーションに困るとたまにこれ系の絡みをやってくる。
「社会人は大変だなぁ。それに比べてワシらは365日休みだからね!なっ母ちゃん!」

正直、シンプルにムカつく。
「ハイハイ」と受け流せれば良いけれど、私は30代半ば独身、今後も結婚の兆しは見えない。
はっきり言って心に余裕がない。
余裕が無い人間は簡単に煽りをくらう。

「そうだね。もう早く死ぬしかないよね。葬式とお墓、よろしくね!」

父の煽りに負けたくなくて、こんな言葉が口をついた。
(どうだ、お前の発言のせいで娘が死を散らつかせたぞ)という得意気な気持ちの反面、
その言葉はブーメランのように返ってきて思いの外、私の心をえぐった。

え、私の人生ってもう早く終えた方が良いぐらい救いの無いものなの。
たしかに私には成長を見守らなければいけない子供もいないし、支え合わないといけないパートナーもいない。
近日中に人生が終わってもそこまで影響はない。

その会話のやり取りを聞いていた母が唯一「ダメだよっ」と言うくらいで父はヘラヘラしながら「ダメだよ」としか返事できずにいた。
私は父に「いや、もう一日でも早くアンタらより早く死ぬから。葬式とお墓よろしくね。わるいね!面倒かけるね!」と追い討ちをかける。
父はこんな事言われるとは思ってなく「ダメダヨ」とつぶやくだけ。
母は悲しそうに「ダメダメ!」と二人のやりとりを叱責した(が二人とも意に介さない)。

そんな二週間前実家で起きたやり取りをふと平日の夜、一人暮らしの家で思い出した。
嘘とはいえ、冗談(?)とはいえ衝撃の強い言葉を母の耳に入れてしまったことを申し訳なく思う。
一生懸命愛して育てた子供がこんな事言ったらさぞ悲しかった、心配になったに違いない。

そして呪縛のように自分が自分にわからせてしまった真理「わたしが生き続ける動機は特にない」が頭を占めてきた。

衝動的に冷蔵庫のワインを注いで飲んだ。
正気じゃいられない。

熊のぬいぐるみに話しかけた。
「なんで生きてるかなんて考えちゃダメだよね」
「悲しくなっちゃった」

そう、「どんな生き物も生きてるのに理由なんか無い」が過去私が考え抜いてたどり着いた結論だ。
子孫を残さない去勢されたペットも生きて良いし、家族友人がいない天涯孤独の人も生きて良い。
人は命を与えられたその日から問答無用で生きていいのだ。
生というスタートと死というゴールは全員平等に与えられ、そのプロセスが千差万別、というだけ。
役に立とうが立とまいが、どっちでもいい。
人はただ、死ぬ日が来るまで生きるだけ。
どうせ平等に死は訪れるのだから、何も自分で早めることはなかろう、が昔至った結論だった。

だからもうなんで生きてるかなんて無駄な事考えるのやめよう。
でも気持ちが落ち込んで仕方ないから酒の力を借りよう。
眠くなってくれればそれで良い。

そんな気持ちでつまみもなく酒を流し込んでいたらTVで『内村さまぁ〜ず』が始まった。
おもしろ。
三村、おでこに「ジャンボ鶴田」って貼られてる。
ビビる大木、「ジャンボ鶴田のモノマネ」って書かれてる。これってコンボじゃん。想像するだけでおもろ。

気づいたら陽気な酒になっていた。
お酒を飲みながら『内さま』を楽しむ、ただの楽しい夜になっていた。

『内さま』を見ながらふとアル中のおじさんが頭をよぎった。
みんな、一生懸命生きることを続けようともがいてんだよな。
一生懸命悲しみに押し潰されないように酒飲んで忘れようとしてんだよな。

悲しいのは私だけじゃないんだ  とやっと気づけた。
おやすみなさい。